このエピソードは「ヤング・インディ・ジョーンズ・クロニクルズ」の第32話(最終話)として2時間枠で放映された同名のエピソードを再編集した作品である。シリーズ再編後は基本的にタイムラインに沿った順番でチャプター番号が振られているが、現時点で発表されている時代設定によると、当エピソードは1910年の晩夏であり、同年初頭に位置するはずのチャプター5と順序が逆になっている。ただし、劇中には何年何月かを表す描写が一切ないため、時代設定が変更されている可能性もある。
本エピソードは海外でテレビ放映されたのみであり、現在でもビデオ化はされていない。国内では未公開である。
第一次大戦後、久しぶりに父ヘンリーのいる実家に返ってきたインディ青年が、父との和解を試みる中で少年時代を振り返るという構成になっている。再編集されたヤング・インディ全22話のエピソード中で唯一、コリー・キャリアーとショーン・パトリック・フラナリーのインディが共演している作品である(再編集前には「ジャッカルの呪い」で共演している)。インディの父であるヘンリー教授は映画『最後の聖戦』で初登場したが、ショーン・コネリー演じるヘンリーのイメージは「ぶっ飛んだ親父」的なものだった。それに対してテレビ・シリーズのヘンリーは当初から堅物の教授というイメージで描かれており、そのキャラクターが最終話にきて唐突に一変しているところが興味深い。もちろん、それ以前に製作されたチャプター6などでは元の堅物に戻っているのだが。
フランスからプリンストンの実家に戻ってきたインディは、道端で偶然にも高校時代のガールフレンド、ナンシー・ストラテマイヤーとぶつかった。ナンシーは息子のブッチJr.を乗せたベビーカーを押しており、インディは彼女が2年ほど前に高校時代のライバルだったブッチと結婚したことを知って落胆する。さらに彼は家に着くや、父からの冷たいもてなしを受け、再び気を落すのだった。父は戦争に参加するため勝手にヨーロッパへと渡ったインディに怒り心頭だったのだ。そして夕食のとき、彼は父に、自分が最後に父を近くに感じたのは10歳のころ、アテネにいたときのことであると告げる。2人はロシアでインディが父から逃げ出したときのこと、そしてその直後の1910年のギリシア旅行のことを思い起こすのだった。
インディ少年とその家族は、父の友人から彼の娘の結婚式に招待され、ロシアに滞在していた。インディは行儀良く振舞いつつ、同時に結婚式も楽しもうとしたが、失敗してしまう。彼はクリスタルの乗ったカートに寄りかかり、それを通りかかったウエイターにぶつけてしまったのだ。父はインディをホールに連れ出し、叱責した。彼は息子にホールから一歩も動くなと厳命するが、インディはそれに背いてしまう。彼は隣の部屋に入り、巨大なシャンデリアを吊るしているロープの付いたハンドルをかすめた。すると、ハンドルのロックが外れ、シャンデリアがウエディング・ケーキの上に落下してしまう。インディの両親は信じられない出来事に唖然とし、母は彼を自室へと連れて行くのだった。インディは母に謝罪するが、彼女は翌朝父から叱責があるだろうと告げる。不当な扱いを受けていると感じたインディは、窓の外側にある排水管を伝って外に降り、逃げ出したのだった。
翌朝、シーモアはインディの両親を起こし、彼がいなくなっていると告げる。インディの父は息子の捜索を開始した。そのころ、干草の山で寝ていたインディは、小さなイタチに起こされていた。彼はパチンコでそのイタチを撃とうとするが、誤って同じ草の上で寝ていた老人に当ててしまう。老人は杖を振り、ロシア語で叫びながら歩み寄ってきた。インディがロシア語は分からないと言うと、男は英語で叫びだす。男は子供が大嫌いだと言い、インディからパチンコを奪い取った。インディはパチンコを取り戻すため、彼の後を追う。男は付いてくるなというが、インディは拒否した。ついに男はパチンコを返し、馬車から降りるよう告げる。だが、インディは馬車の脇を歩きながら、自分がなぜアメリカへ逃げ帰ることになったかを話すのだった。インディが男に、なぜ自分を両親のもとに突き返さないのかと質問すると、彼はやらなければならないことをしたことは一度もなく、自分も同じように逃げているのだと告げる。だが、彼が老人だったため、インディは男を信じなかった。男はインディに、両親に頭をおかしくさせられる少年なんてほとんどいないと思ってるのではないか、と尋ねる。その一方で、インディの両親は彼がいなくなったことを非常に心配していたのだ。
インディが男に、誰かに会えなくて寂しいことはないかと尋ねると、彼は犬に会えないのが辛いと答える。インディも自分の犬に会えなくて寂しいと告げた。するとインディの靴底から本が剥がれ落ち、男はそれを足で押さえておくようにと指示する。男はインディに、それは自慢の一品である聖書だと告げた。一方、インディは野球のミットとボールを見せ、野球の基本を説明すると、収集したベースボール・カードを見せるのだった。彼は中国にある黄金をすべて詰まれても、このカードを手放さないと言う。男に言わせれば、彼の聖書についても同じことだった。インディが靴を固定したまま、2人は同じようなやり取りを続け、やがて腹が減ったため、インディは持っていたリンゴを食べ始める。彼は男に1口勧めるが、男は1口で半分を食べてしまった。インディは不満を訴えるが、男は必要に応じて分配されるべきであり、体の大きな自分の方がたくさん食べるべきだと主張する。インディがそれは自分のリンゴだと反論すると、男は、それは大地で成長したものであり、世界に属するものだと言い返した。呆れたインディは、もう何も分け与えないと言い捨てる。やがて雷が鳴り始め、2人は黙って進み続けるのだった。
ヘンリー教授は、インディをヨーロッパ旅行に連れてくるべきではなかったと漏らしていた。しかし、シーモアによれば、ヘンリーもかつて同じ場所で行方不明になったという。ヘンリーは、自分が逃げ出したときとは違うと弁明するのだった。一方、インディと老人が村に到着すると、村人たちは男に向かって一斉に「トルストイ!」と叫びだした。インディは、人々がトルストイに好意的であることに驚かされる。村人たちはトルストイ「伯爵」を歓迎し、彼を宿に招くと、食事を提供した。やがて雨が激しくなり、インディは窓の外から中を覗いていた。トルストイは彼を中へ招き、罪の意識をなくせと告げる。そして食事が終わると、インディはトルストイが偽装した王様か何かなのかと尋ねた。彼は何年も前に本を数冊書いたが、あまり良い出来ではなかったと答え、自分は特にどこにも逃げていないと告げる。トルストイは神に近いシンプルな生活を好んでいただけなのだ。インディは彼と共にニュージャージーに逃走したいと言い、トルストイもそれに同意するのだった。
やがてロシア警察がトルストイを探して到着し、インディを家族のもとへ連れ帰るためにやってきたという。するとインディはテーブルを上へ跳ね飛ばし、警官を気絶させてしまった。インディとトルストイは混乱のなか、急いで逃走する。インディの父は息子が危険に遭遇しているではないかという不安を増大させ、彼が逃げ出したことについて自分を責めていた。インディとトルストイは納屋に隠れ、帝国コサック兵が乗り込んでくるのを目撃する。トルストイはインディに、彼らは冷酷であり、「不運な民族集団」である自分たちを苦しめるために政府に利用されているのだと告げた。このときインディはようやく「トルストイ」の名を理解し、「戦争と平和」の著者なのかと尋ねるのだった。インディは自分の父を偉大な人物だと考えているが、トルストイは父を低能だと思っている。やがて、トルストイは列車の駅に向かって進むべきだと告げた。その途中、彼らは立ち止まり、インディはトルストイに野球について教えることができた。彼はトルストイに、偉大な打者になっていたかもしれないのに執筆だけに何年も費やすなんてもったいないと告げる。やがてジプシーの一団が通りかかり、2人を乗せてくれた。そしてその夜、トルストイはキャンプファイヤーを囲みながらみんなに怖い話をする。その後、彼らが全員でキャンプファイヤーを囲んで踊っていると、コサック兵が襲撃に現われた。多数のジプシーが殺害され、トルストイも馬上のコサック兵に打ちのめされてしまう。インディは彼を助けると、キャンプが燃え盛るなか、2人で必死に逃走するのだった。
その後、インディはトルストイを教会に運んだが、修道僧たちは彼らを乞食と勘違いし、追い払おうとする。しかし、インディが彼をトルストイであると説明すると、修道僧たちは一転して彼を助けようとするのだった。だが、トルストイは自分がいる場所に気づくと、あわてて走り出した。彼曰く、修道僧は人々を神から遠ざける存在であり、彼らの助けを受けるとすぐに死が訪れるというのだ。だが、トルストイは野原で意識を失ってしまい、インディは助けを呼ぶため悲鳴を上げる。すると何人かの人々が彼の叫びを聞きつけ、トルストイを家に入れてくれた。翌日、インディは彼に、なぜ教会に対して嫌悪感を抱いているのかと尋ねる。すると彼は、修道僧たちは神の代弁をすると主張することによって神の威光を減じていると答えた。彼はインディに、教会から取り入れた偏見を通じて神を見ようとせず、自分自身の目で見るべきだと告げるのだった。
そのころ、シーモアはあらゆる心労から気分が優れないでいた。インディの父も、彼と話をすることだけを望んでおり、泣き出してしまう。一方、インディとトルストイは列車の駅に到着するが、列車はちょうど出発した直後だった。このとき、インディはトルストイがそれほど元気でないことに気づいていた。彼はトルストイに、旅行に行くべきではないと言い、やはり家族のもとに帰るべきだと思うと告げる。するとトルストイは怒り出すが、インディが帰るというのなら、自分もその場に立ち会おうと申し出るのだった。
インディの両親が寝込んでしまったシーモアを訪ねていると、ホテルの従業員がインディを発見したことを告げるためドアをノックした。アンナは厳しく当たり過ぎないようにとヘンリーに約束させる。そして両親はトルストイの屋敷へと向かい、インディと再会するのだった。インディは逃げ出したことについて謝罪するが、それを聞き届ける前に、父はトルストイがいることに気づき、驚かされる。インディは両親に彼を紹介し、その後一家が立ち去ると、彼は休息をとるため家の中へと入っていった。その後、インディが聖書を持っていることに気づいた母は、それをどこで手に入れたのかと質問する。インディはトルストイからベースボール・カードと交換に貰ったのだと答えた。そのころトルストイは一心不乱にベースボール・カードを読みふけっていたのである。
やがてジョーンズ一家はロシアを発ってギリシアのアテネへと向かうことになる。列車の中で、ヘンリーはシーモアが体調を壊したことについてインディを叱責していた。そのときインディは、やはり父は嫌いだと呟くのだった。
ギリシアに到着後、インディの父は息子と妻をアテネのパルテノン神殿へと連れて行こうとするが、アンナはシーモアを見舞いに行くべきだと考え、ホテルへと戻った。その翌日、インディの母は週末に姉を訪ねに出かけ、インディは父と2人でパルテノンへ向かうことになる。しかし、インディも父も、互いに相手を押し付けられたという事実が気に入らなかった。父はカラバカにある宙吊りの修道院に行かなければならないと言い、母は、ならばインディも一緒に連れて行くべきだと主張する。父はそれは危険であるとして説得を試みるが、彼女は同意しなかった。そして彼女が出かけた後、父はインディに振る舞い方についてレクチャーすると、インディのおかげで仕事を大量に抱え、週末はずっと忙しいと告げるのだった。
パルテノン神殿に到着したインディの父は、古代ギリシア語でタクシーの運転手に指示を与えるが、インディにはその内容がまったく理解できなかった。そして、父はここが哲学の発祥の地であるといい、インディにその基礎を説明する。彼は三段論法と呼ばれる手法で、アリストテレスによる論理学の教義を示した。まず彼は杖を剣のように使うことによって戦いを実演し、床に倒れて死んだ振りをする。そしてインディが駆け寄ると、彼は飛び上がり、人はすべていつか死ぬ、これが一般的真理だと語った。彼は人間であり、それゆえ彼もいつかは死ぬ、これは特殊真理である。そして彼は、ソクラテスも人間であり、したがってソクラテスも死ぬ、これが三段論法なのだと告げるのだった。父曰く、これはアリストテレスの論理学の一例であり、演繹的論理学は我々の宇宙と我々の存在そのものに関する大きな謎を解き明かす鍵なのだという。アリストテレスが尋ねた質問は、人類の歴史の転換期を示しているのだ。こうした思想こそが、我々人類とその他の全生物たちとの決定的な違いなのである。
やがて2人は帰ろうとするが、インディはタクシーがいなくなっていることに気づいた。すると父はあるタクシーを指し示し、論理的にはそれが自分たちのタクシーであると告げる。彼らのタクシーはそこに停まっていた。今、このタクシーがその場所に停まっている。したがって、それは彼らのタクシーなのだ。彼らはそのタクシーに乗って出発する。だが、2人はその直後に運転手が別人であることに気づき、追い出されてしまった。結局、彼らは徒歩で修道院への長旅に出かけることになる。そして旅の途中でも、インディの父は彼に古代ギリシア人に関する講義を続けていた。やがて、1頭立ての馬車が現われ、彼らは乗せてもらうことができたが、馬車の中で鶏が泣き喚き、他の乗客がウインド・フルートを奏でていても、インディの父は講義を続けようとする。そして彼らは修道院までまだかなりの距離があるところで降ろされてしまい、しかもボロボロに汚れた状態になっていた。そこで2人は体を綺麗にするため海に入るが、その間に羊の群れに服を食べられ、穴だらけにされてしまう。その後、親子は木の破片だけの何も着ていない状態で近くの村に到着し、農民たちから何とか「原住民」の服装のように見られることができたのだった。
やがて、彼らはアリストテレスと名乗る男から助けを借りることができた。彼の荷馬車を引くロバはプラトンという名前である。そしてアリストテレスはインディの父に、政治について興味があるかと尋ねた。彼がないと答えると、アリストテレスは大馬鹿者と叱責する。インディはショックを受けるが、父は、英語の「愚か者」はギリシア語でいう「政治に関心を持たない者」という意味の言葉を語源に持っているのだと説明するのだった。ヘンリーとアリストテレスはすかさず民主主義に関する議論を開始する。ヘンリーによれば、ギリシアは民主主義の祖国だった。彼はアリストテレスとプラトンによる政治システムについて説明を開始する。だが、インディの父がアリストテレスとプラトンの言ったことについて延々と話し続けるため、3人は議論している内容について混乱し始めた。やがてアリストテレスは、彼が自分と自分のロバについて話しているのだと思うようになり、ついにはヘンリーを馬車から蹴り落としてしまう。だが、インディは降りることを拒否し、父は隣を歩く羽目になる。ヘンリーは、これが実際に自分が論じていた民主主義ならば、望めば自分も馬車に乗れるはずだと嘆くのだった。
やがてジョーンズ親子は山頂に位置する宙吊りの修道院に到着し、上にいる修道僧が山腹まで持ち上げた籠の中に入れられた。このときインディは、父が余りの高さに不安になり、完璧に硬直した状態で座っていることに気づく。その後、彼らは修道僧たちからの挨拶を受け、後日、修道僧たちも内部に入り、2日間の沈黙の誓いを守るであろうと告げられた。そして夕食の後、彼らは硬いベッドが1つだけ置かれたシンプルな戸棚のような部屋へと案内されたのである。
翌日、インディは修道僧たちが詠唱しているところを見ていた。その後、彼は図書館へ行き、父が教本の翻訳を行っている間、静かにしようと努力するが、すぐに退屈だと訴える。父の考えた解決策は、インディにアリストテレスの三段論法について調べさせ、アリストテレス論理学の性質と因果律との関係について3ページのレポートを書かせるというものだった。インディは父が教えてくれた本を見つけるとさっそく読み始め、修道院で同じように教本の研究を行っていたニコス・カザンツァキスと遭遇する。彼はインディが父から与えられた課題を見て、それを手伝ってくれたのだった。彼曰く、性質は原因なくして存在せず、それは因果律から得られる結論なのだという。ニコスは、積み重ねた本の上に置かれたオレンジをインディに押させることによって、これを実践してみせた。彼の説明によると、オレンジの落下には数多くの要素、すなわちオレンジの存在(重さ)、オレンジの形状(丸い)、インディがそれを押したという事実、そしてそれが最も低いレベルを探すということを含む作用などが、複雑に関連しているのだという。インディはその最後の要素を重力であると解釈したが、ニコスによれば、オレンジが木から落ちるのは、それによって別のオレンジを実らせるための作用だというのだ。インディはニコスの説明を紙に書き留め、「自然は何に支配されているの?」と質問する。するとニコスは彼に、その解答は論理ではなく英知から導かれるものだと答えるのだった。父がインディに発見を期待したのも、まさにこの質問に対する解答である。インディの出した答えによると、主因は神であり、神が論理の限界を超えたところで踊っているというものだった。彼曰く、英知は論理よりも偉大だが、英知によって、人は証明のない真実を受け入れられるかどうか、自問を繰り返すことになるのだというのだ。
その日遅く、インディと父は昇降籠で修道僧たちに別れを告げた。そして修道僧たちは沈黙の誓いを開始しに向かい、インディは父にレポートを提出する。彼らは籠に乗り込み、降ろされ始めた。下へ降りながらヘンリーはレポートを読み、良くできたと告げるが、英知が論理に勝るという解釈には反対だという。すると突然籠が止まり、ゆっくりと状況を確認した父は、まだ半分しか降りていないことに気づくのだった。ヘンリーは落下しても生還できるよう、籠の支えをしっかりと掴む。やがてインディも最悪の事態を思い浮かべ、修道僧たちに忘れ去られればこのまま餓死するだろうと考えていた。2人は助けを求めて叫ぶが、誰も答えてくれない。やがて陽が沈み始め、気温も低下してきた。彼らは籠から取った小さな木片で火をおこすが、籠自体に引火させてしまう。そしてヘンリーは慌てて火を踏み消し、うっかり床に穴を開けてしまうのだった。
ついに翌朝になったが、助けはなかった。2人は修道僧が気づいてくれる可能性に疑いを抱き、自力で脱出する方法を考え始める。父は籠を吊るしているロープを登ろうとするが、高所恐怖症のため数フィートしか登ることができなかった。彼は仕方なくロープを降り、摩擦で手を擦り剥いてしまう。このときインディは、この苦境を乗り切るには論理的にならなければならないと主張するのだった。彼は、梯子は木で作られており、籠も木で作られている、したがってこの籠は梯子だと考えた。2人は木片やロープをもぎ取り、いくつもの梯子の段を作り始める。これらを上のロープに固定し、その上を登るたびに剥がして付け替えていけばいいのだ。しかし、ロープが擦り切れ始め、インディの父は何とかしようと奮闘する。そしてついにロープが切断され、籠が地面へと落下したとき、彼は辛うじてインディを掴んで支えることができたのだった。2人はようやく断崖の頂上に到着し、籠の上げ下げを担当する修道僧が倒れていることを知る。彼は滑車装置が屋根から落ちたときに頭を打ち、意識を失っていたのだ。やがて緊迫した状況から解放された親子は互いに抱擁し、笑い出すのだった。
インディは父に、最後に抱いてもらった記憶があるのはギリシアの宙吊りの修道院でのことだと告げる。だが、父はテーブルから起き上がると、すぐに寝てしまった。そして翌日、インディは家を出るときに、もっとたくさん話せなくて残念だったと言い残す。父も同じように残念だったと言い、ついに2人は和解したかのように思えた。しかし、インディがプリンストン大学ではなく、考古学を学ぶためにシカゴ大学へ入学するつもりだと話すと、父は一転して冷たくなり、出ていこうとするインディに向かって、後ろからドアを閉めるよう指示するのだった。インディは父が決して許してくれていないことを理解し、シカゴへと出発したのである。