このエピソードは「ヤング・インディ・ジョーンズ・クロニクルズ」の第5話として放映された「1916年 12月 独領東アフリカ」と、第6話として放映された「1917年 1月 コンゴ」を組み合わせ、1つのエピソードとして再編集した作品である。
独領東アフリカ編、コンゴ編は共に日本でも1992年初頭に「インディ・ジョーンズ 若き日の大冒険」と称したシリーズでテレビ放映されたことがあり、ビデオ、LD-BOX、文庫本が発売されている(いずれも既に絶版)。また、チャプター11として再編集された後の作品もビデオ化されている(国内版は既に絶版)。
なお、独領東アフリ編とコンゴ編にそれぞれ含まれていた1990年代の老インディのセクションはカットされている。もともとこの2つのエピソードは連続したストーリーになっているため、再編集も両者を単純に繋げただけである。
インディとレミは最終的に、タンガニイカ湖付近に展開するベルギー部隊に参加していた。彼らはブーシェ少佐の指揮のもと、原住民のアスカリスの部隊に配置される。そして攻撃の間、インディはドイツ軍の防衛網に手薄な箇所を見つけ、ブーシェの撤退命令を無視して部下と共に突撃を開始するのだった。攻撃の際、インディは敵の銃弾を食らって倒れるが、次の瞬間には立ち上がり、再び突撃を開始する。彼は1人で機関銃の砲座を奪い取り、それをドイツ軍へ向けて発砲させた。これをきっかけに敵は総崩れとなり、インディはベルギー軍を勝利へと導くことになる。インディに命中した弾丸は、彼が子供のころにゾフィー王女からもらったロケットに当たって反射していたのだ。原住民たちはこれを強力なお守り、あるいは魔法のようなものと見なし、インディに深い尊敬を抱くようになるのだった。しかし、ブーシェは命令を無視したインディに対して激怒していた。だが、インディの勇敢な行動はこの付近一帯のドイツ軍を撤退させることに大きく貢献したとされ、彼は大尉に昇進することになる。
ブーシェ少佐は本部からの新たなる命令を受け取った。ケープ・ロペスから極めて重要な武器と物資を調達するため、彼の部隊をコンゴを横断するおよそ2,000マイルの遠征に就かせろというのだ。インディとブーシェはこの遠征にそれほど多くの時間が費やされることはないだろうと考えていたが、指揮官のマチュー大佐は多くの犠牲を伴う困難な任務であることを予感していた。
部隊は出発するが、行く手は険しい道のりだった。彼らは砂漠やジャングルを渡り、ときおり事故や病によって人員を失っていく。旅の途中、彼らは明らかに見捨てられたと思われる村を発見した。調査したところ、1人の子供を除くすべての村民が天然痘によって死亡したことが分かった。ブーシェは部隊への感染を懸念し、その子供を置き去りとするよう命令する。インディはそれに反対するが、従わざるを得なかった。インディの部下のバーテルミー軍曹(彼はこの子供と同じウバンギ族の出身だった)も不平を訴えるが、インディは少佐に従うよう命令するのだった。
やがて黄熱病に罹り、倒れる者たちが出始める。ブーシェは病人たちに限られた食料を残して置き去りとし、彼らに基地へ戻るよう命じる。インディは彼らを見殺しにするだけだと訴え、再びブーシェに反発するが、結局はそれを取り下げるのだった。その夜、一行が足を止めキャンプを設営していたとき、バーテルミーが密かにウバンギの子供を連れてきていたことが発覚する。インディが仕方なくブーシェに報告すると、彼は再び子供を置き去りにするよう命じるのだった。だが翌日の朝、出発の前に部隊が整列すると、バーテルミーはまだ子供を連れていた。ブーシェは子供を置いていくよう命じるが、バーテルミーはそれを拒否し、他の隊員たちも彼を強く支持する。反逆行為を目の当たりにしたブーシェは絶叫し始め、理性を失った行動に出た。そのため、インディは彼を押さえつけ、残りの部隊の指揮を執ることになる。彼らは子供を連れて旅を続けるが、クリスマス・イブまでには残ったほとんどの兵士たちが病気に罹っていた。インディは、果たしてケープ・ロペスにたどり着くことができるのだろうかと不安に思い始めるのだった。
ついにブーシェが病に倒れると、インディは彼の反対を無視して担架を用意させる。やがて彼らは旅の最後の行程となるフランスビルに到達するのだった。彼らはそこからケープ・ロペスへと向かうためにスロートを雇い、彼の船で500マイルにおよぶ川下りを始めることになる。その途中、彼らのボートは脱走兵たちの一団による攻撃を受けた。この襲撃でバーテルミーが負傷するが、ウバンギの子供が舵を取り、船を安全な方向へ導いたため、彼らは座礁を免れる。さらに川を下り、彼らは病院を見つけるが、スロート曰くその病院はドイツ人によって営まれているのだという。ブーシェはそのまま通過するよう命じ、さらに多くの兵士たちが死んでいく。そして彼らはついにケープ・ロペスを視界に捉えるが、彼らがドックに入る前にブーシェも死亡する。彼がインディに残した最後の命令は、復路につく際に船に爆弾をセットし、ドイツ軍が積荷を奪い取ろうとしたらすべてを爆破せよというものだった。
ウバンギの少年は駐屯地の医師によって検査され、健康な状態であることが確認された。だが、バーテルミーは不幸にも襲撃を受けた際の傷を悪化させ、死んでしまう。インディは子供を現地の宣教尼僧に託し、彼の名をバーテルミーだと告げるのだった。
ケープ・ロペスで、インディはフランス軍司令官から復路を支援するための要員は出せないと告げられる。彼は残されたわずかな人員で帰路につくことを誓うのだった。レミはインディがやろうとしていることを狂気の沙汰だと主張し、2人は喧嘩になるが、やがてレミが降参する。彼らはスロートのボートに武器や物資を積み込んだ。そして、インディはブーシェの命令どおり船に爆弾を仕掛けるが、スロートはそれを快く思ってはいなかった。
インディの一行は川を上り始めるが、往路で彼らを悩ませた疾患は復路でも犠牲者を出し続ける。乗員たちがすぐに死の崖っぷちに追いやられると、当然ドイツ語を話す黒人が船に乗り込んできた。熱にうなされるインディはパニックに陥り、爆弾を爆発させようとするが、殴られて意識を失ってしまう。やがて彼はドイツ人医師によって起こされた。インディは薬を与えられ、決して捕虜ではないことを告げられる。その夜、インディは逃げ出すため、こっそりと船へと戻った。すると医師もボートに姿を現し、インディに病棟へ戻るよう説得するが、彼はそれを拒否する。その後、女性がインディを見るためにボートを訪れ、シュバイツァー夫人であると自己紹介した。医師は彼女の夫、アルベルト・シュバイツァーだったのだ。彼女はインディにお茶を与え、彼が5日間意識を失っていたことを告げるのだった。
翌朝、インディはボートで目を覚まし、熱が引いていることに気づく。するとシュバイツァーが再び姿を見せ、インディの部隊の中で生き残ったのがわずか5人であることを告げた。レミは寄生虫によって足の指を2本失っていたが、命に別状はなかった。インディは彼に謝罪するが、それでも決して任務を放棄して戻るつもりはないと言うのだった。
その晩、インディはシュバイツァー夫妻と夕食を共にし、夫妻はジャングルで医療活動を行っている理由について語る。そして2、3日後、川の上流の部族から助けを求める使者がやってきた。部族長の息子が病に倒れたというのだ。インディとスロートはシュバイツァーを連れて川を上り、シュバイツァーは部族長の息子を救うことに成功する。その後、キャンプ・ファイヤーを囲んでいたとき、部族長がヨーロッパで行われている戦争について尋ねてきた。シュバイツァーは彼にも理解できる言葉で、莫大な人々が命を失ったことを説明しなければならず、10を超す人々が戦死したと告げる。それを聞いた部族長は、大惨事だと感想を漏らすのだった。
インディとシュバイツァーは病院施設に戻ると、フランス軍兵士が皆を取り囲んでいるところに遭遇する。インディはフランス兵に説得を試みるが、無駄だった。また、フランス軍将校は、インディたちが目的地だったタボラが既に壊滅したため、運んでいた武器ももはや必要のなくなったものであることを告げる。多くの犠牲を強いられた旅そのものが無駄骨だったのだ。ドイツ人であるシュバイツァーはフランス軍の捕虜となり、彼を乗せたボートがケープ・ロペスへ向けて川をゆっくりと下っていく。病気に苦しむ原住民たちはジャングルの部族に取り残され、ただ死を待つのみとなるのだった。
ケープ・ロペスに戻ったインディは駐屯司令官と激論を交わすが、何も得るものはなかった。彼は次に到着する蒸気船で武器をヨーロッパに戻すよう命じられる。そして、インディとレミはヨーロッパに強制送還されるシュバイツァー夫妻を見送りに行った。アルベルトはインディに英知を示す言葉を残して去っていく。「多少の反抗は魂にとってプラスになる」と。