ミズーリー州で農場の娘として育ったウィルヘルミナ・スコットは、少女のころから富と魅惑のビジョンを抱いていた。才能ある歌手でありダンサーだった彼女は、脚光を浴びるスターの座に憧れ、ニューヨークやハリウッドで有名になりたいと切望していたのである。しかし、彼女は家族で唯一のエンターティナーだった愛する祖父の跡を継ぎたいとは思っていなかった。この愛想の良いマジシャンは多くの人々を楽しませたが、最終的には無一文となって死んだのだ。
1930年代の大恐慌は、キャリアを築こうとする彼女の試みを妨害した。ハリウッドで旋風を巻き起こすことに失敗した彼女は、東洋にさらに大きなチャンスが存在するという噂を聞きつける。彼女は、独立心と自由な精神、そしてあふれる才能を持った少女が、極東で富を築き上げるという話を聞いたのである。だが、現実は厳しく、最終的に彼女は破産し、挫折してしまう。彼女はもはや成功のために必要な不正さえも働けない状態になってしまったのだ。
その後、彼女はウィリー・スコットという芸名を使い、上海の未熟な映画業界で最低限の成功を手にすることになる。やがて、彼女のプロフィールはラオ・チェの用心棒の1人の目に留まり、彼はボスにこのアメリカ人歌手を紹介したのだった。ラオ・チェは自らを豪商を呼んでいたが、人々は「ギャングの親玉」や「犯罪王」といったより正確な呼称を密かに使用していたのである。
ウィリーは、自分ならラオ・チェを操れるはずだと純粋に考えていた。しかし、この中国人密輸王は彼女に安物の宝石やパリ製のドレスを与えただけで、彼女に自由はほとんどなかった。また、彼女は上海の豊かな地域の1つに庭付きの小さな素晴らしい家を持っていたが、ラオと一緒のときは注意深く行動しなければならなかった。彼は気性が激しいことで有名だったのだ。
そして1935年、彼女はラオ・チェのナイトクラブ、「クラブ・オビ・ワン」でコール・ポーターの「エニシング・ゴーズ」を歌い、観客を喜ばせた後、運命の夜の出来事に遭遇した。ラオ・チェのプライベート・テーブルに加わったウィリーは、既に緊迫した状況を迎えていた交渉を目撃する。ハンサムなアメリカ人考古学者インディアナ・ジョーンズが、彼女がこれまでに見たこともないような巨大なダイヤモンドと引き換えに、高価な中国製の壷を持ってきたのである。しかし、ラオはこの宝石を手放そうとせず、インディを裏切って毒殺しようとしたのだった。
ラオに裏切りを撤回させるため、インディはウィリーを脅迫するふりを見せるが、犯罪王はただ「女はくれてやる。代わりはすぐ見つかるからな」と言っただけだった。あっさりと忠誠を失ったウィリーは、クラブが大混乱に陥ると、即座にラオのことを忘れ、自力で生き抜く道を選ぶことになる。そして、ダンス・フロアでインディとラオのガンマンたちが激しい銃撃戦を開始すると、混乱に乗じてダイヤを探していた彼女は、偶然にも解毒剤の小瓶を手にしたのだった。ウィリーが小さな青い瓶をドレスに仕舞うのを見たインディは、急いで彼女を掴み、常軌を逸した脱出劇に付き合わせたのである。
その後の数日間は、スコットにとって恐ろしい試練の連続だった。彼女は甘やかされた生活に慣れており、常に危険と背中合わせのインディアナ・ジョーンズとの旅は、まったく味わったことのない経験だったのだ。インドの外れにある貧しい村、パンコット宮殿でのエキゾチックなウナギ、昆虫、脳みそ、そして目玉の料理、宮殿のじめじめした内部にある虫だらけの回廊、そして恐ろしいサギー教の生贄の儀式など、どれもこれも彼女が決して見たいとは思っていなかったものばかりである。
しかし、インディアナ・ジョーンズとショート・ラウンドの助けによって、彼女はそのすべてから生き延びることができた。やがて、ウィリー・スコットはアメリカへと戻り、初めての冒険よりもはるかに幸せな人生を歩むことになる。
人々のあふれる上海の路上で、インディアナ・ジョーンズのポケットから小銭をすろうとしたその日は、若き中国人少年ショート・ラウンドにとって人生最良の日となった。路上生活をしていた浮浪少年は、突如として危険な冒険生活へと放り出されたが、ショーティとインディとの友情は、つらい人生に別れを告げ、アメリカにある裕福な機会へと運んでくれる幸運のチケットだったのである。
1924年、ワン・リーとして生まれたショート・ラウンドは、インディにさえも本当の名前をひた隠しにしていた。彼は鉄工所の所長の長男として生まれ、家族そろって快適な暮らしを営み、若い頃からキリスト教会で英語と数学を学んでいたのである。
インディによると、ショート・ラウンドは4歳のころから路上で生活していたはずだという。しかし、それが事実かどうかはその後になっても謎のままだった。確かなことは、ショート・ラウンドが上海の物騒な裏通りで学んだ厳しい教訓によって、強い生存本能を示していたということだけである。さらに、彼の喋る英語の多くは、正規の教育から学んだものではなく、タイファン劇場で上映されていたアメリカ映画から吸収したものだった。そして、キリスト教会にもワン・リーという名前は登録されていたが、ショート・ラウンドは中国の神学に極めて敬虔な姿勢を保っていたのだ。彼は神社で静かに手を合わせ、自分を監視し、必要なときに守ってくれるよう、神に祈りを捧げていたのである。
1932年の秋になると、そのような行動がたびたび繰り返されていた。日本軍による上海への爆撃によってショート・ラウンドは家族を失い、孤児となってしまったのだ。一時期、ミッション系の孤児院に引き取られていたこともあったが、その後間もなく、彼は路上での生活を選ぶようになる。彼は観光案内をしながら貧しい生活を支えていたが、その一方で腕利きのすりや泥棒としても働いていた。ショート・ラウンドはリウ・ストリートのアヘン吸引所のような陰の地域の周辺で働いていたのである。
1935年のある日、ショート・ラウンドは背の高いアメリカ人旅行者を見つけ、すりを試みるが、その男の感覚は普通の外国人と比べてはるかに研ぎ澄まされていた。ショーティは金を盗んで逃げようとしたが、あっという間にインディアナ・ジョーンズのムチに撒かれてしまう。しかしインディは、この少年がただ生き延びようとしていただけであること、そして若さゆえの活力と虚栄心があったことを見てとり、彼を警察には引き渡さないことにしたのだった。
その代わりに、インディはショーティを友人のウー・ハンに紹介した。ショート・ラウンドは上海におけるインディの気心知れた仲間たちの1人となり、犯罪王ラオ・チェとの危険な交渉の際には、彼に極めて重要な助け舟を与えることになる。ショート・ラウンドは「ウォン叔父さん」(彼との間に本当の血縁関係があったかどうかは分からない)からうまく車を借りることに成功し、タイミングよくインディを乗せて逃げることができたのだ。
ショーティは路上生活からサバイバル教育を得ていたが、インディは彼をさらに教育する。大慌てで行われた一連のレッスンで、インディはこの少年に車の運転や、彼が情熱的になれるもの、すなわち野球を教えたのだった。やがて、ショーティは熱心なニューヨーク・ヤンキース・ファンになったのである。
ラオ・チェとの取引が不発に終わった後、インディは屋根からショーティの待つ車の上に飛び降りた。そして、ショート・ラウンドは混み合った上海ストリートを猛スピートで飛ばし、インディと新顔のウィリー・スコットをナン・タオ空港まで運んだのだった。この計画は、インディ、ウー・ハン、そしてショート・ラウンドが中国を離れるために用意したものである。だが、ウー・ハンは既に殺されており、さらに、ショート・ラウンドは目的地をシャムに指定していたが、この計画も大きく狂うことになる。彼らの乗った貨物機はラオ・チェの所有物であり、彼の忠実なパイロットたちが飛行機をヒマラヤへと墜落させたのだ。
インディの機転によって3人は何とか生き延びるが、インドの山奥で迷子になってしまった。彼らはそこで、メイアプールと呼ばれる貧しい村の苦境を目の当たりにする。村人たちは近くにあるパンコット宮殿に隠された、邪悪なサギー教による略奪行為に苦しんでいた。狂信者たちが村から聖なる石を奪い、子供たちを誘拐したというのだ。インディはこの邪教の実態を調査するため、ショート・ラウンドとウィリー・スコットと共にパンコット宮殿へと向かうことになる。
パンコットへの道中、ショート・ラウンドは小象に乗っていた。この象はショーティが初めて手に入れたペットのような存在となり、ビッグ・ショート・ラウンドという名前を与えられる。彼はこの象が、死んだ弟、チューの生まれ変わりだと信じていたのだ。そのため、彼にとってビッグ・ショート・ラウンドとの別れは辛いものとなったが、彼にはそれが子供の馬鹿げた発想であることも分かっていた。彼は自分こそがインディにとって最高のボディガードだという決意を抱いたのである。
パンコット宮殿での悲惨な経験は、ショート・ラウンドの決意を難しいものにした。3人は悪に追い詰められ、サギー教の血の崇拝に捕らえられてしまう。インディは邪悪な呪文を掛けられ、カルト集団の魂を抜かれた奴隷となった。また、ウィリーは邪悪な儀式の生贄となり、溶岩に沈められようとしていたのだった。
ショート・ラウンドはサギー教の鉱山へ連れて行かれ、他の聖なる石、あるいは教団の資金源となる宝石の発掘作業をさせられていた。だが、ショーティはつるはしを脱出のための道具として使い、チェーンを叩き切ると、インディを救出に向かう。途中、洗脳された狂信者を目覚めさせる方法を知った彼は、インディに松明を押し付けた。すると、激しい苦痛によってカリーの呪縛を解き放ったインディが正気を取り戻す。彼とショーティは狂信者たちを次々と倒し、捕らえられている他の子供たちを解放したのだった。
インドでの冒険の後、ショーティはインディと共にアメリカへ渡り、そこで新しい生活を発見することになる。
漆黒の髪ときれいに整えた口ヒゲを生やした50代(1935年当時)の威厳ある男、ラオ・チェは、常に戦士のような物腰で振舞っていた。彼は見事な紳士服を常に完璧に着こなし、左手の小指にはめた大きな指輪には、エメラルドの眼を付けた黄金の隼があしらえてあった。
ラオ・チェは、空輸サービス、貿易商社、製薬工場、さらにはいくつかの酒場など、多くの商売を手がける有名な豪商であり、なかでも彼の経営するクラブ・オビ・ワンは、上海の国際都市で最も壮大なナイトクラブの1つだった。そこでは素晴らしいディナーが提供され、フルスケールのブロードウェイ風フラワー・ショーや、営業時間外に行われる極めて個人的なカジノなどを楽しむことができたのだ。さらに、彼はおそらく上海の街でグリーン・ギャングに並ぶ、最大の犯罪組織の首領でもあった。他の暗黒街の帝王たちと同様に、彼も懐に上海当局の役人たちを多く従えていたが、その半数以上が賄賂ではなく恐喝によって彼に服従していたのである。
上海に拠点をおく他の悪名高き犯罪王たちと同様に、ラオ・チェも合法的実業家としてのイメージを育てることを密かな楽しみとしており、長年におよぶ慈善活動や芸術への寄付によって名声を獲得していた(ただし、これには彼に雇われた報道記者たちの役割による部分も少なからずある)。そのため、彼のナイトクラブは上海で最も著名な市民たちで常に賑わっており、豪華なエンターテーメント、最高の食事など、望むものすべてが提供されていた。同時にそこは、ギャンブルや売春などの闇の娯楽に耽るための、目立たない、見かけ上安全な場所だったのだ。しかし、こうした素晴らしい一面の裏で、ラオ・チェは依然として自身とその副官である2人の息子たち(カオ・カンとチェン)以外の何者にも興味を示さない、非情な犯罪者だったのである。
インディアナ・ジョーンズはヌルハチの遺灰が収められた中国製の古い壷を持って、ラオ・チェと会うためにクラブ・オビ・ワンを訪れた。しかし、ラオはヌルハチの遺灰とピーコック・アイの秘宝として知られる巨大なダイヤモンドを交換すると約束していたにも関わらず、インディを裏切って毒殺しようとする。すると、ジョーンズはラオに裏切りを断念させるため、彼の価値ある所有物の1つ、クラブ・オビ・ワンの歌姫ウィリー・スコットを人質にとり、犯罪王を脅迫したのだった。しかし、ラオとっては、ようやく手にした遺灰と法外な価値を持つ宝石以上に価値あるものなど存在しなかった。彼はウィリーをジョーンズにくれてやると言い放ったのである。
ダンス・フロアでインディとラオのガンマンたちとの壮絶な銃撃戦が開始されたとき、ウィリーは偶然にも解毒剤の小瓶を手に掴んだ。その後、インディは彼女を連れてクラブから脱出し、彼女から解毒剤を取り上げる。この乱闘の最中、カオ・カンがインディによって殺され、ラオ・チェは復讐を誓ったのだった。
ラオの殺し屋たちはインディをナン・タオ空港まで追跡した。中国から脱出しようとするインディに対し、ラオは微笑みかける。彼が不用意にチャーターした飛行機はラオ・チェの空輸会社の所有物であり、彼の手下が空でインディを始末してくれるはずだったのだ。
ラオ・チェの次男、チェンは顔も気性の荒さもブルドッグに似た男である。彼は中肉中背だが、極めて凶暴な性格であり、ボクシングのリングや暗い小道では恐ろしい敵となり得る。また、彼は精神に異常をきたしており、そのサディスティックな気性は、シルクのスーツやチャリティ・ダンス・パーティへの後援くらいではとても隠し切れなかった。
チェンは自己統制能力の欠如によって、過去に何度か不名誉な事件を起こしていたが、父の持つ警察当局とのネットワークを利用して、もみ消していたのだった。ラオ・チェはこれらの事件を「若気の至り」として許し、ファミリーを上海暗黒街の覇者とするという目的の総仕上げにおいて、彼を後継者と見なしていたのである。
1935年、チェンはインディアナ・ジョーンズによってラオ・チェに届けられるはずだったヌルハチの壷を盗もうとし、衝動的な性格を裏目に出すことになる。両者はクラブ・オビ・ワンでそれぞれの品物を交換するということで合意していたが、前日の夜、チェンは報酬を払わずに壷を手に入れようとしたのだった。インディは指を骨折させるだけで彼を許してやったが、このときチェンはさらに性格を歪めたのだった。
ラオ・チェがジョーンズに対する形勢を逆転させ、彼を毒殺しようとすると、交渉は大混乱に陥った。チェンはマシンガンを乱射させ、アメリカ人考古学者を射殺しようとするが、インディはかろうじてこの乱闘から脱出することに成功する。インディはクラブから逃れ、チェンはナン・タオ空港まで彼を追跡した。そこにはラオ・チェがインディを殺すために用意した別の部下たちが待っていたのだ。
背が高く細身で平凡なラオ・チェの長男、カオ・カンは、ときとして父を当惑させる息子でもあった。彼は一族のビジネスに不可欠な殺人行為に真の愛情を抱いておらず、主として交渉の場に重点をおいていたのである。カオ・カンはラオ・チェの合法ビジネスを拡大させる中で大きな役割を演じていただけなく、ファミリーの事業を海運から脱却させ、最も新しい輸送形態である空輸ビジネスへと切り替えていく際の主力人物だったのだ。
利口なカオは一族の犯罪帝国にとって必要不可欠な存在だったが、彼には父が弟の方を気に入っていることもよく分かっていた。そのため、彼は前に出すぎれば気性の激しいチェンによってたやすく殺されるだろうと考え、後方で静かにしていることを選んだのである。
カオ・カンとチェンが父と共に流血のビジネスに加担したのは稀なケースであり、それは彼にとって致命的な結果を招くことになる。ラオ・チェとインディアナ・ジョーンズとの間で行われた緊迫の取引において、カオ・カンは静かなガンマンとして働くよう指示されていた。アメリカ人考古学者はラオ・チェに、ヌルハチの遺灰が納められた高価な中国製の壷を届けに来たのだ。だが、中国人の犯罪王は形成を逆転させ、ジョーンズを毒殺しようとする。そして、周囲の客たちが一斉にシャンパンのコルクを開けたとき、カオ・カンはその音に気をとられたインディの補佐役、ウー・ハンを射殺したのだった。友人の死に激怒したインディは、毒でよろめきつつもハト肉のフランベ串をカオへ向かって器用に投げつける。カオ・カンは串で胸を貫かれ、絶叫と共にその場で絶命したのだった。
アール・ウェバーは上海のクラブ・オビ・ワンの近くにある飛行場で働いていたイギリス軍将校である。彼はインディアナ・ジョーンズ、ショート・ラウンド、ウィリー・スコットのために飛行機の席を3人分を確保しようとしたが、生きたニワトリを運ぶための飛行機しか用意することができなかった。それでも彼は多少不快かもしれないとしか考えていなかった。さらに、実はこの飛行機はラオ・チェ航空会社のものであり、インディとその仲間たちを殺すため、インドの山岳地帯ですぐに墜落してしまったのだった。
1935年当時、30代半ばだった小柄で穏やかな口調のチャター・ラルは、若きマハラジャ、ザリム・シンの第一顧問を務めていたパンコット宮殿の宰相である。オックスフォードで学んだ彼は、西洋の風習や文化を熟知しており、昼間には西洋風の衣装を好んで着用していた。会話においても、ラルはドライで辛らつな知性を覗かせており、宮殿内でカルト的活動が行われているという疑いを指摘されたときも、この才能で話題をうまく逸らしたのだった。
1935年以前には、ラルはイギリス統治下のインドにおける当局との主要な交渉役として、頻繁に姿を見せていた。また、ラルは王室の代表との協議のため、インド内を自由に旅していたこともある。彼は王室との間に多くの有益な接触を保っており、物事を進められる賢明な男として、広く名声を得ていたのだ。
表面上は常に穏やかな表情を見せ、怒りで声を荒げることもほとんどないが、彼はときおりわずかに心の中に隠した鋼鉄の意思を垣間見せることがあった。
事実、ラルは邪神カリの死のカルトを熱烈に信奉していたのである。彼は自身の知識を用いて、若きマハラジャの意思を女神への奉仕に向けさせるため、向精神性ハーブを注意深く栽培していた。高僧モラ・ラムのように大衆を従わせるだけのカリスマも力もないラルは、一連の力を持った操り人形師として、より巧妙に自身の影響力を発揮しようとしていたのだ。また、ラルは堂々とした肉体派の人物からはかけ離れていたが、サギー教の格闘技を訓練した経験があり、神聖な目的のために、自身の手を更なる血で染めたいと考えていたのである。
寺院の壇上での戦いにおいて、ラルは素手の格闘でインディアナ・ジョーンズに敗れ、カリへの生贄を犠牲の炎へと導く巨大な巻き上げ機の車輪に挟まれてしまう。このとき彼は重傷を負ったが、地下洞窟へと向かったジョーンズの追跡をモラ・ラムとその部下たちに任せ、自分はうまく脱出することに成功したのだった。
一説によると、チャター・ラルは宮殿から数千ポンドにおよぶ金塊や宝石を持ち去ったという。イギリスは彼が再びインドでカリの寺院を築き上げることを懸念しており、彼の動きに油断なく眼を光らせることになる。
1922年生まれの若きマハラジャ、ザリム・シンは、1930年に父プレムジットが謎の死を遂げたことによって、領主としての責任を受け継いだ。ザリムは知る由もなかったが、彼の父は邪神カリへの崇拝が復活したことを発見したため、その事実がイギリスに知られることを恐れたサギー教の司祭モラ・ラムによって殺害されたのである。
痩せた体、整った顔立ち、そして高いソプラノ声をもつ若きマハラジャは、彼の王国で起こったあらゆる犯罪行為に対し、裁きを与える権限を有していた。支配者としての教養を身に付けるため、シンはイギリス人家庭教師による正規の教育を受けており、インドとイギリスの歴史、文化、そして両国間の現在の関係について極めて深い知識を持っていたのである。
ザリムはカリを崇拝するカルトをパンコットの過去の歴史の一部であると確信していたが、彼は意図せずして暗黒の儀式の犠牲者となってしまう。第一顧問のチャター・ラルが密かにマハラジャの飲み物に儀式で使う血を混ぜており、これによってザリムはカリの黒い眠りに陥ってしまったのだ。善良な心を持った若き王子は、モラ・ラムの神秘的秘術の達人へと転身したのである。
また、ザリムはクルチャ人形の作り方と呪術についても訓練されていた。この人形を何者かに似せて作ることによって、人形への苦痛を対象者に直接感じさせることができるのだ。この秘術の犠牲となったのはインディアナ・ジョーンズである。黒い眠りについたザリムは、彼に似せた人形を炎に近づけ、銀のヘアピンで突き刺した。だが、ショート・ラウンドはマハラジャに松明を押し付けることで、彼を黒い眠りから目覚めさせることに成功する。ザリムは正気を取り戻し、ショート・ラウンドに地下墓地からの脱出ルートを教えたのだった。
1世紀以上にわたって、パンコット宮殿周辺のダイヤモンド鉱山は恐怖と死の場所とされていた。サギー教の狂信者たちが地下を徘徊し、邪悪な儀式のための生贄を誘拐していることが知られていたのである。サギー教の脅威は1800年代初頭にイギリスによって排除され、血に飢えた邪悪な信仰は絶滅したと考えられていた。だが、それは間違いだった。彼らは単に隠れていただけなのだ。
1935年、モラ・ラムは邪神カリがこの世に残した死のカルト、サギー教の最後の高位司祭の1人だった。彼は陰に隠れていることだけでは満足できず、同胞たちの破滅の歴史を調べるうちに、復讐を切望するようになったのだ。彼は唯一、カリにかつての栄光をもたらすことだけに情熱を捧げており、その目的のためには一切容赦せず、遅延も、過ちも認めなかった。
彼が女神のために行った邪悪な行為の数々は、何年もかけて彼自身をゆっくりと変えていった。青白い不気味な顔には、くぼんだ眼窩の中で赤緑色の目が光っており、儀式を指揮する前には、外観を高めるために顔と頭部に塗装を行っていたのである。
力と知識を持つモラ・ラムは、寺院の信者たちを難なく彼の計画に加担させることができた。彼の命令を拒否した者、あるいは忠誠が不十分だった者は、迅速に処分されたのである。彼が最初に出した命令の1つは、それを見た者すべてにカリの力を示す新しい寺院の建立だった。
新しい寺院の建造が始まると、モラ・ラムは別の問題に注意を振り向けた。かつての司祭たちと同様に、彼はパンコット近辺でのサギー教の活動がイギリスの関心をひきつけ、寺院と彼の主要な計画の双方が危険に晒されることを恐れていたのだ。しかし、カリの祝福を得るには、人間を生贄として捧げなければならない。そのため、彼はサギー教の信者を可能な限り遠くへと送り出し、白人以外の旅行者を誘拐すること、そしてその旅人を捕らえた場所には決して戻らないことを指示したのだった。これらの命令に対する不履行は、死を意味することになるのだ。
モラ・ラムにとってイギリスの存在は頭痛の種だったが、彼や信者たちのイギリスに対する恐怖が計画の妨げとなることは避けなければならなかった。彼はパンコット宮殿の内部およびその周辺での出来事に絶えず注意を払っており、サギー教の影響力を宮殿内部に浸透させる機会を伺っていたのだ。その結果、彼はマハラジャの顧問を務めるチャター・ラルという名のイギリス人の存在を知ることになる。ラルはカリについて知っているばかりか、自ら進んでサギー教に入信し、寺院の建立に手を貸してくれた。そして、カルトの一員となった直後に、ラルは若きマハラジャ、ザリム・シンにこっそりとカリの血を受け入れさせ、彼を暗黒の女神の従者としたのだった。
インディアナ・ジョーンズがパンコットに到着するまでに、モラ・ラムとその従者たちはカリの闇の手が宮殿の上だけでなく、その周辺一帯まで覆えるよう手配していた。マハラジャを手堅く支配下においたことから、モラ・ラムにはもはやサギー教の信者を寺院から遠い場所にまで送り込む必要もなかった。その結果、サギー教は周辺の村を襲い始め、生贄だけでなく、鉱山での労働や新しい寺院の建設を行うための奴隷を集めるようになったのだった。モラ・ラム自らもメイアプールの村への襲撃に参加し、そこで見つけたサンカラ・ストーンを寺院へと取り戻したのである。
メイアプールの祭壇から聖なる石が盗まれたと聞いたジョーンズは、サギー教の魔の手から石を取り戻すため、パンコットへと向かった。やがて、インディ、ウィリー・スコット、ショート・ラウンドの3人は、宮殿の地下墓地に隠された秘密の通路を見つけ、巨大な広間でモラ・ラムの指揮による生贄の儀式が行われているところを発見する。生贄はまず神秘的な方法で生命を保たれたまま、モラ・ラムによって素手で無残に心臓を抉り取られる。そして、犠牲者は煮えたぎる溶岩の中で生きたまま焼かれることで、カリへと捧げられるのだ。
儀式が終わり、無人になった広間で、インディは石を持ったまま姿を眩ませた。だが、ほどなくして彼はモラ・ラムのサギー教徒に捕まってしまう。また、ショート・ラウンドも村から誘拐された他の子供たちと共に奴隷に加えられ、ウィリーはカリへの生贄とされた。そして、カリの血を飲まされ、モラ・ラムから「黒い眠り」の呪文を掛けられたインディは、ウィリーを生贄のかごの中に捕らえると、彼女を溶岩へと沈める準備を始めたのだった。
その後、幸運にもショート・ラウンドが脱走に成功し、インディを悪に取り付かれた状態から目覚めさせることができた。正気に戻ったインディはウィリーを溶岩の穴から救い出す。モラ・ラムはその場を逃れたが、インディは再び3つのサンカラ・ストーンを取り戻すことができたのだった。
冷酷なモラ・ラムはインディたちを高い断崖に架けられたつり橋まで追跡した。追い詰められたインディは、刀でつり橋を半分に切断し、絶壁にぶら下がった状態で橋を登るという最後の手段を実行に移す。しかし、モラ・ラムも切断された橋にしがみつき、崖の上に登るためインディとの戦いを繰り広げた。だが、最終的にはインディが勝利し、モラ・ラムははるか下方に待ち受けるワニの餌食となったのである。
この戦いで残されたサンカラ・ストーンは1つだけだったが、インディはそれを義務としてメイアプールの村に返還した。
噂によると、モラ・ラムの死体が死の直後に川から消滅したとされている。イギリスはこうした明らかな虚偽について徹底的に否定したが、イギリスも彼の死の証拠を出すことはできず、苦労は続いたのだった。