考古学者にして無類の冒険家であるインディアナ・ジョーンズは、激動の時代に波乱万丈の人生を歩んできた。彼の体に刻まれた無数の傷跡が、その壮絶な人生の歴史を物語っている。インディは子供のころから常に死と隣り合わせの生活を送っており、こうした経験がタフな冒険家としての肉体と精神を養ってきたのである。
ヘンリー・ジョーンズ・ジュニアは1899年7月1日、大学で中世史を教えるヘンリー教授とその妻アンナの長男として生まれた。だが、彼は物心が付いたころから父に「ジュニア」と呼ばれることを嫌い、飼い犬だったインディアナの名前を名乗るようになる。ニュージャージー州のプリンストンで育った少年時代のインディは悪戯好きの子供であり、厳格な父をいつも困らせていた。彼にとっての人生で最初の大きな出来事は、8歳のときに経験したヘンリー教授が世界中の大学で講演を依頼されたときの2年間にわたる世界旅行である。インディは両親と家庭教師のヘレン・シーモア女史に連れられ、ヨーロッパ、アフリカ、そしてアジア各国の多くの都市を訪れ、その土地の言語や風習を身に付けていった。また、彼はこの旅の中で数多くの偉大な人物たちと出会い、ときには恐ろしい事件に巻き込まれることになる。後に考古学を学ぶきっかけを与えてくれたのは、カイロで知り合ったT.E.ロレンスだった。インディは彼の紹介によってハワード・カーターによる遺跡の発掘現場を見学し、古代エジプトの秘宝を巡る殺人事件に巻き込まれたのである。
その後もインディ少年は家族と共に旅を続け、ウィーンではハプスブルグ家の皇女ゾフィーとの初恋を経験し、あわや国際問題にまで発展するところだった。また、中国では病気に倒れ、東洋医術によって九死に一生を得る。そして、アテネでは父と冒険を繰り広げ、お互いに抱き合い、笑い合ったのだった。だが講演旅行が終わると、聖杯の研究に没頭するようになった父とは次第に不仲になっていく。ユタ州でのボーイスカウトの演習中、盗掘団からコロナドの十字架を奪って持ち帰ったときも、ヘンリーにはまったく相手にしてもらえなかった。その直後には母アンナが病死し、家庭から唯一の光が消えてしまう。そして父子の不和を決定的なものにしたのは、1916年の高校時代、親類を尋ねて父と共にアルバカーキへの旅行に出かけたときのことである。このときインディは、父に無断で世界を駆け巡る、4年間の命がけの大冒険をすることになったのだ。
インディと従兄弟のフランクは親たちにキャンプに出かけると偽り、魅力的なメキシコ女性を探しに国境へ向けて出発するが、2人はそこでメキシコ革命に巻き込まれてしまう。インディはパンチョ・ビリャの理想に共感し、革命軍と共にアメリカ政府軍との戦いに参加したのだった。だが、時同じくしてヨーロッパで行われていた第一次世界大戦の悲惨さを知ったインディは、同じく革命軍に参加していたベルギー人のレミ・ボードワンと親交を深め、真の戦いに参加するべく2人でヨーロッパへと旅立っていく。やがてインディはアンリ・デファンスという偽名を使ってベルギー軍に志願した。しかし、ロンドンで久しぶりに再会したシーモアは、彼が父と和解せずに祖国アメリカと無関係な戦争に出兵することに強く反対する。だが、インディは決意を固めており、シーモアと、ロンドンで短期間だけ愛し合ったビッキーに別れを告げると、前線へと出発したのだった。
ヨーロッパ戦線に配置されたインディとレミは、熾烈を極めたベルダンやソンムの塹壕で幾度となく死の恐怖を味わうことになる。さらにインディは一時的にドイツ軍の捕虜となるが、脱出不可能と言われた要塞からの脱出に成功したのだった。その後、2人はアフリカ戦線に志願し、中尉に昇進する。そしてインディは戦場での勇敢な行動によって大尉にも抜擢されるが、コンゴに広がるジャングルの奥地で彼を悩ませたのは、敵の銃弾ではなく黄熱病の恐怖だった。そこでインディは、味方のアフリカ人兵士たちやシュバイツァー博士との出会いを通じて、戦争を続けることの虚しさを実感し、戦いとは違った方法でこの戦争を早期に終わらせる努力をしたいと考えるようになる。彼は偽造した令状でレミと共にフランス情報局に転属し、スパイとしてこの戦争に関わることになったのだ。
インディは多彩な語学力を買われ、ヨーロッパ各国での諜報活動に派遣されるが、その任務は失敗の連続だった。オーストリアでは二度にわたって失敗を演じ、ロシアでも暴動の勃発時期を読み違えてしまう。だが、連絡を取り続けていた友人、T.E.ロレンスの紹介によって受けたパレスチナの任務では見事な成功を収め、その後も素晴らしい成果を挙げていく。だがその一方で、新しい友人や女性には縁がなかった。ロシアでは信頼関係のすれ違いから共産革命を支持する友人を死なせてしまい、また、イタリアでは恋人だったジュリエッタを友人のアーネスト・ヘミングウェイとの争奪戦の末、第三の男に奪われてしまった。そしてイスタンブールでは、結婚を誓った恋人モリーを同僚の中に潜んでいた二重スパイに殺害されたのだった。だが、悲しみに浸る間もなく任務は続く。インディはトランシルバニアで伝説の吸血鬼と戦い、恐ろしい超常現象を経験した。そしてついに終戦を迎えたのは、再び塹壕に戻ってきたときのことである。しかし、ロンドンに凱旋したインディを待っていたのは、彼にとって唯一の理解者だったシーモアの死の知らせだったのだ。
その後、インディとレミを待っていたのは宝探しの冒険だった。戦場で偶然手に入れた古い地図に、アレキサンダー大王の秘宝の所在が記されていたのである。レミは一攫千金の夢に心を奪われ、インディを引き連れて太平洋を横断することになる。だが、数々の危険を乗り越えながらも、結局財宝は見つからなかった。そして、インディは冒険の最後に出会ったマリノフスキー博士の忠告に従い、考古学者になるという自分の夢をかなえるべく、故郷アメリカへと帰る決意をする。一方、レミは秘宝への夢を諦めきれず、単身で宝探しを続けるのだった。
やがてインディはプリンストンの実家で4年ぶりに父と再会するが、そこには二重のショックが待ち受けていた。高校時代のガールフレンドだったナンシーがかつてのライバルと結婚し、子供を儲けていたこと、そして相変わらず父が自分に関心を寄せてくれないことである。また、父はインディにプリンストン大学を勧めていたが、彼はシカゴ大学へ進学することを決めていた。結局、父子は仲直りを果たすことなく別れ、インディはシカゴでの学生生活を開始する。そこでインディは、学費を稼ぐためにこれまでの経験を活かした様々な職に就いた。T.E.ロレンスの紹介で通訳をしていたときは、戦争を行っていた政治家たちの腐敗を目の当たりにし、近い将来、再び戦争が繰り返されることを直感する。また、レストランでボーイをしていたときは様々なアーティストと知り合うなかで、ギャングたちの抗争にも巻き込まれた。そしてニューヨークでは舞台の裏方を務め、ハリウッドでは映画業界にも携わる。こうしてインディの多忙な学生時代は終わりを告げ、大学院ではレーヴンウッド教授の指導もと、着実に考古学者としての頭角を現していくのだった。
そして1935年、考古学博士として既に著名な存在となっていたインディは、上海マフィアの首領ラオ・チェの依頼で満州王朝初代皇帝ヌル・ハチの遺灰を手に入れるが、それに対する報酬を巡ってトラブルとなり、中国からの脱出を余儀なくされる。だが、脱出した飛行機の操縦士もラオの手下だった。飛行機は操縦不能となり、インディと相棒の少年ショート・ラウンド、上海でトラブルに巻き込まれた歌姫のウィリーの3人は、インドの山奥に迷い込んでしまう。その後、彼らは寂れた村で、宮殿の人々に盗まれたという軌跡の石の捜索を引き受けることになった。そして宮殿に乗り込んだインディたちは、伝説から蘇った邪教集団との死闘の末、神秘的な力を持つサンカラ・ストーンを取り戻し、村に活気を取り戻したのである。
そして1年後、ペルーでチャチャポヤン戦士の黄金像を取り逃したインディは、マーシャル大学で授業を行った後、アメリカ情報局のエージェントから接触を受けた。彼らによると、ナチス・ドイツがモーゼの十戒を収めたとされる失われた聖櫃を捜索しているというのだ。聖櫃はその所有者に絶大な力を与えるとされており、オカルトに強い関心を持つヒトラーが、来るべき戦争に備えてその力を必要としていたのである。聖櫃についてはインディのかつての師であるレーヴンウッド教授が権威とされていたため、ナチスも彼の持つ手掛かりを探していた。アメリカ軍からのインディへの依頼は、ナチスより先に聖櫃を見つけることだったが、ネパールで隠居生活を送っていたレーヴンウッド教授は既に他界しており、インディは彼の娘でありかつての恋人でもあったマリオンと共に聖櫃を探す冒険へと出ることになる。一方、ナチスはインディの積年のライバルであるフランス人考古学者ベロックに協力を仰いでいた。インディは聖櫃の隠された魂の井戸のあるカイロで旧友サラーの助けを借り、ついに聖櫃を発見するが、ナチスに奪われてしまう。それでもインディとマリオンは執念の追跡を行い、ついに聖櫃の持つ壮絶な力を体験するのだった。聖櫃を開封したベロックとナチスの兵士たちが神の怒りに触れ、肉体を砕かれてしまったのである。その後、聖櫃はアメリカ軍の手に渡ったが、インディと上司のマーカスが切望する博物館での調査は行われず、国家最高機密の1つとして秘密の倉庫の奥深くに埋もれることになるのだった。
また、1938年には26年前に悪党に奪われたコロナドの十字架を取り戻し、このとき教壇に立っていたニューヨークのバーネット大学に持ち帰ることができた。だがその直後、インディは大学の博物館の大口スポンサーである富豪ウォルター・ドノバンに招かれ、父ヘンリーが聖杯の捜索中に行方不明になったことを聞かされる。インディは父を探し出し、永遠の命を与えてくれるという聖杯の捜索を引き継ぐため、マーカスと共に彼が消息を絶ったベニスへと向かうのだった。やがて2人は現地でヘンリーの助手を務めていたエルザ・シュナイダー博士と会い、聖杯の手掛かりと父の行方を捜し始める。そして彼らはオーストリア・ドイツ国境の古城でヘンリーを見つけるが、インディはまたもやナチスが聖杯を探していることを知るのだった。さらに、ドノバンとエルザがナチスに加担していたという事実も発覚し、ようやく再会した父子は捕らえられてしまう。一方、一足先に聖杯を求めてアレキサンドリアへ向かったマーカスは現地でサラーと接触していたが、やはりナチスに捕らえられてしまう。だが、ジョーンズ親子は逃走し、ナチスによる執拗な追撃をかわしつつ、次第に親子間の不和を解消していった。その後、彼らは何とかマーカスを救出し、サラーを含む4人で聖杯の眠る太陽の神殿へと到着する。だが、ヘンリーがドノバンに撃たれ、インディは彼を癒すために死の罠の先にある聖杯を取りに行くことになった。そして聖杯の間ではエルザがドノバンを裏切り、彼に偽の聖杯を掴ませる。ドノバンは朽ち果てたが、ヘンリーは本物の聖杯の力によって事なきを得た。だが、聖杯を神殿の外に持ち出すことはできず、欲望を捨て切れなかったエルザは奈落の底へと落ちてしまう。一方、インディは一度は聖杯に伸ばした手を諦め、初めて自分を「インディアナ」と呼んでくれた父に手を伸ばす。このとき2人は完全に和解を果たし、友人たちと共に故郷へと帰ったのだった。
そして1990年代、インディはニューヨークで娘の家族や愛猫のヘンリーと共に平穏な生活を送っていた。隻眼の老インディは現代の礼儀知らずで軟弱な若者たちについて嘆いており、行く先々で自身の波乱の生涯における経験談を聞かせている。だが、多くの人々は彼の思い出話を迷惑だと感じているようだ。
偉大な歴史学者として世界的に有名なヘンリー・ジョーンズ博士は、1872年にスコットランドで生まれ、その後、オックスフォード大学で中世史を専攻した。そして、在学中に6歳下の名家の令嬢アンナと結婚し、ニュージャージー州のプリンストンで、長男ヘンリー・ジュニアと長女のスージーを授かる。だが、スージーは幼い頃に病死し、ジョーンズ一家は家庭から光を1つ失ってしまった。一方、ヘンリー・ジュニア(彼は「ジュニア」と呼ばれるのを嫌い、飼い犬のインディアナと同じ名前を名乗っていた)は好奇心旺盛で悪戯好きな少年であり、日ごろからヘンリーを悩ませていた。事実、インディは大学教授の父を尊敬しながらも頭の固い頑固親父と見なしており、2人は一般家庭における父子関係とはかけ離れた日常生活を送っていたのである。
そして1908年、ヘンリーはアジア・ヨーロッパを中心とする各国の大学から研究分野に関する講演を依頼され、それを承諾する。彼は妻とインディ、そしてかつて自分の家庭教師を務めていたヘレン・シーモア女史をインディの教師役として同行させ、2年間にわたる世界旅行に出発したのだった。ヘンリーは行く先々で学者や政治家などの著名な人々と会談するが、インディはその都度トラブルを巻き起こし、上流階級の人々の前で両親に恥をかかせ続けることになる。また、世界旅行の終盤に訪れたギリシアでは、父子揃って宙吊りの修道院に入り、恐怖の体験を共有した。このときヘンリーはインディを本気で抱きしめ、普段は口やかましく、またときには無関心だが、実は本気で息子を愛していたことを表現する。だが、これはインディが子供時代で最後に経験する父からの抱擁になるのだった。
講演旅行を終えてアメリカに帰ってきたヘンリーは、かねてからの趣味だったキリストの聖杯に関する研究に没頭するようになり、さらに家族との接触が薄れていった。インディが盗掘団からコロナドの十字架を奪ってきたときもまったく気にかけず、重要な文化遺産をみすみす逃してしまう。そして1913年、ジョーンズ一家に再び大きな不幸が舞い降りた。ヘンリーの妻アンナが肺炎によって亡くなってしまったのである。この出来事にはヘンリーとインディも大きく落胆し、その後の親子関係にも大きな歪を残すことになった。
そして1916年、ヘンリーはインディの高校の春休みに、彼を連れてアルバカーキに住む親類を訪ねるため旅行に出かけるが、このとき親子の信頼を引き裂く重大な事件が発生する。ヘンリーは2日間だけの約束でインディに従兄弟のフランクとのキャンプを許可するが、約束の日になっても息子は戻ってこず、連絡が途絶えてしまったのである。その後、インディの安否が分かったのは、彼がオックスフォードにいるシーモアを訪ね、父へ手紙を書くよう言いつけられてのことだった。しかもその手紙の内容は、ヨーロッパで行われている戦争に出兵するというものだったのだ。ヘンリーは彼をプリンストンの大学に進学させるつもりいたため、息子の余りにも身勝手かつ危険な行動に激怒する。だが、ヘンリーも見かけ上は徐々にインディの行動に理解を示すようになり、インディの休暇中の世話や、大学に進学した際の進路相談にも遠方から協力したのだった。
そして4年後、第一次世界大戦が終結し、様々な悲しみを乗り越えて人間的にも大きく成長したインディが久しぶりにプリンストンの実家に帰ってきた。だが、親子の亀裂は深刻な状況になっており、ヘンリーはインディの思い出話にも心を閉ざしたままだった。さらに、インディは地元のプリンストンではなくシカゴの大学に進学することを決めており、再び父を困惑させる。ヘンリーは半ば勘当に近い形でインディを追い出し、彼はアルバイトで自分の学費を稼ぐことになった。そしてヘンリーは、聖杯の研究により深く没頭することになるのだった。
やがてインディが考古学者として著名な存在になっても、ヘンリーは実家の書斎に閉じこもって聖杯の研究に余生を費やしていた。だがある日、インディと共通の友人であるマーカス・ブロディの博物館の大口スポンサー、ウォルター・ドノバンから聖杯の手掛かりを見つけたという知らせがあり、老ヘンリーは嬉々として冒険へと出発することになる。だが、捜索活動の途中、彼は助手のエルザ・シュナイダー博士の裏切りによって、同じく聖杯の捜索を行っていたナチスに拉致されてしまう。その後、ドノバンから父の異変を知らされたインディが捜索を引き継ぐことになり、彼はヘンリーが行方不明になったベニスへと向かった。だが、これはナチスとそれに協力するドノバンが仕組んだ罠だったのだ。ヒトラーとドノバンは永遠の命を授けてくれるという聖杯の力を欲しており、ジョーンズ親子に捜索を行わせ、その後彼らを抹殺して聖杯を横取りするつもりだったのだ。ほどなくしてインディはドイツ・オーストリア国境でヘンリーを発見するが、親子揃ってナチスに追われる羽目となり、命がけの逃亡劇を繰り広げる。ヘンリーにとってここまで執拗に命を狙われるのは初めての経験だった。この冒険のなか、2人は次第に過去の確執を解消していき、力をあわせて何とか聖杯のある太陽の神殿に到達したのである。
神殿のなかではドノバンが聖杯を守る死の仕掛けに苦戦していた。そして彼はインディたちの到着を知ると、ヘンリーを銃で撃ち、父を救うには聖杯の癒しの力を利用するしかないと言い放つ。インディはヘンリーの説明どおりに死の仕掛けを1つづつ克服し、ついに聖杯の間へとたどり着く。そして、ドノバンは偽物の聖杯による呪いの力で命を奪われるが、インディは即座に本物の聖杯を見抜くことができた。ヘンリーはインディがもたらした聖杯の力で傷を癒し、薄れ行く意識の中で捜し求めた聖杯を手にする。しかし、聖杯を神殿の外に持ち出すことは許されず、エルザが持ち出そうとしたとき、神殿が崩壊し始めた。それでも彼女は聖杯への欲を捨てきれず、床の亀裂から奈落の底へと落ちてしまう。インディもそれに続こうとするが、ヘンリーはこのとき初めて彼を「インディアナ」と呼び、聖杯はもういいと告げる。彼にとってこの世で最も大事なものは聖杯ではなく、息子だったのだ。インディは聖杯に伸ばした手を父に差出し、命を救われるのだった。このとき、2人は長い確執を乗り越え、完全に和解を果たしたのである。
裕福な家庭で生まれ育ったアンナは、20歳のときの1898年、当時オックスフォード大学の大学院で中世史を研究していたヘンリー・ジョーンズと結婚した。そして翌年、ヘンリーが大学院を卒業したとき、アンナは最初の子供となるヘンリー・ジュニアを出産する。その数年後にはジュニアの妹となるスージーも生まれたが、彼女は幼くして病気で亡くなってしまい、一家は悲しみに包まれた。そのため、アンナはヘンリー・ジュニアに多大な愛情を寄せており、厳格で厳しい父との間で、ジュニアは恵まれた少年生活を送ることになる。そして1908年、ジョーンズ一家はヘンリー教授が世界各国の大学から講演に招かれたことによって、2年間の世界旅行に出かけることになったのだった。
旅先ではヘンリー教授が大学に出かけていることが多く、アンナと教師役のシーモアがインディを連れて様々な都市を観光していた。そして、イタリアのフィレンツェでオペラを鑑賞していたとき、アンアは著名なオペラ作家であるプッチーニに一目惚れされてしまう。プッチーニは彼女に求愛し、さらにはジョーンズ教授との離婚までも要求するのだった。思いもよらぬ展開にアンナは困惑し、初めは彼の誘いを断っていたものの、次第にプッチーニの激しい情熱に押されるようになる。そしてついには心を惹かれ、インディやシーモアから隠れるように2人でキスを交わすのだった。インディも子供ながらに母の異変を察知し、シーモアも困惑して見てみぬ振りをする。最終的にアンナはどうしていいのか分からなくなり、シーモアの前で泣き崩れるのだった。だが、ついに偉大な夫が戻ってくると、彼女は一目散にヘンリーに駆け寄り、プッチーニをあっさりと意気消沈させたのである。
また、その後訪れた上海の旅ではインディが肺炎にかかり、死の淵に立たされるという事件が起こる。信頼できる西洋医学を学んだ医師は近くおらず、アンナはシーモアが医師を呼びに行く間、中国の貧しい農村の家庭からインディに必死の看病を授かった。だが、西洋人医師の到着までインディが持ちこたえることは難しい状況となり、アンナはついに中国人医師を呼ぶことを決める。このとき彼女は初めて東洋医学の神秘を目の当たりにし、最愛の息子の笑顔を取り戻すことができたのだった。
しかし、1913年、不幸にしてアンナは35歳の若さで病死してしまう。父と不仲だったインディにとって、良き理解者だった母の死は大きな心の痛手となった。3年後、彼は母の死について従兄弟のフランクと会話し、家の中から光が消えてしまったと語るのだった。
あらゆる分野の学問に精通する聡明で厳粛なヘレン・シーモアは、ジョーンズ親子を2世代にわたって教育した偉大な教師である。彼女の教え子にはジョーンズ教授をはじめとして、後にアラビアのロレンスとして名を馳せるT.E.ロレンスなど、著名人が多数おり、引退後は故郷のオックスフォードで静かに暮らしていた。だが、ヘンリーが世界中を回る講演旅行の受諾したとき、彼らから息子の教育係を依頼され、ジョーンズ一家と旅を共にすることになる。教育熱心な彼女はインディから恐ろしい鬼婆とまで言われていたが、シーモアはジョーンズ家の人々を本当の家族のように愛しており、インディも長年にわたって彼女に深い信頼を寄せるようになるのだった。
シーモアもジョーンズ夫妻と同様に、インディのやんちゃ振りには手を妬いており、ときにはインディの母アンナの意外な行動に困らされることもあった。ロシアでインディが行方不明になったときは心労の余り体調を崩し、また北京でインディが病に倒されたときには何日もかかるというアメリカ大使館まで出かけていった。そして、ピサの斜塔でインディに物理学を教えていたときには、アンナの浮気現場を目撃してしまい、途方に暮れたこともある。
やがて2年間にわたる世界旅行が終わると、シーモアは再びオックスフォードに戻ったが、若くして母を亡くし父とも不仲だったインディにとって、彼女は唯一の理解者であり、もはや母親同然の存在だった。そして不測の事態から父のもとを飛び出し、ベルギー軍の兵士として第一次世界大戦に参加することになったインディは、召集がかかるまでの間イギリスに滞在し、ロンドンで知り合った恋人ビッキーを連れてシーモアの家を訪れる。このとき彼女はインディがアメリカと無関係な戦争に参加することに猛反対を唱え、父との和解を強く要望するのだった。だが、ついにはインディの意思を尊重し、彼が戦地に向かうとき、シーモアは駅でインディを見送りながら涙を流す。彼女は、再び生きてインディと再会できることをひたすら祈り続けることになるのだった。
戦争中もインディはことあるごとにシーモアに手紙を送り、自らの無事を伝えていた。そして1919年、ついに生きて終戦を迎えたインディはさっそくシーモアに手紙を出し、ロンドンへと凱旋する。しかし、到着した駅に彼女の姿はなく、彼は単身でオックスフォードへと向かうのだった。だが、そこで待っていたのは、2週間前にシーモアが亡くなったという非情の知らせだった。彼女はインディに残した遺書のなかで、父との和解し、本当の夢を追い求めてほしいと切望していた。最愛の恩師の最期を看取れなかったことは、インディに深い後悔の念を抱かせたのだった。
巨体に丸眼鏡のレミ・ボードワンは青年時代のインディの親友だが、年齢は13歳離れている。1916年の3月、アルバカーキの親戚を訪ねるため父と旅行に出かけたインディは、大人たちに2日間のキャンプと偽り、従兄弟のフランクと共にメキシコの娼婦を求めて国境越えを試みた。だが、国境の街に突如として銃声が鳴り響き、盗賊団による襲撃が開始される。そして、正義感から盗賊の1人を追いかけたインディは、逆に彼らに捕らえられ、処刑されることになるのだった。しかし、インディは間一髪のところで襲撃者たちの首領、革命家のパンチョ・ビリャに救われる。このときビリャの手下の1人だったレミは、インディが強運の持ち主であることを見抜いていた。またインディは、彼がフランス語を喋ることからフランス人かと尋ねるが、レミはベルギー人だと答える。彼はどういうわけかメキシコでビリャの主張に共感し、革命軍に加わっていたのである。
インディとレミは意気投合し、共にビリャの軍の一員としてアメリカ軍を相手に命がけで戦った。だが、貧しい農場を制圧したとき、革命とためだと食料を略奪するビリャたちの姿を見たインディは、理想と現実との乖離を思い知らされた。また、レミもニュース映画でヨーロッパにおける第一次世界大戦の惨状を目の当たりにし、戦いで死ぬなら祖国のために死にたいと考えるのだった。インディとレミは夜明けにメキシコを後にし、ヨーロッパへと旅立っていったのである。
ロンドンでベルギー軍に入隊したインディとレミは召集を待つ間、戦争未亡人を探して戦火の街をさまよっていた。そこでレミはスゼッタという子持ちの未亡人と知り合い、前線へ出発する当日に結婚する。そして塹壕では、年上ながらも臆病で弱気なレミと、年下だが勇敢で強気なインディは抜群のコンビとなり、幾多の戦いを生き延びた。だが、2人は次第にヨーロッパの戦場に嫌気が差し、アフリカ戦線への転属を志願する。ここでは2人とも自動的に中尉に昇格し、その後インディは戦功を立てて大尉となった。レミは事実上インディの部下となったが、過酷を極めたコンゴでの武器輸送任務ではインディの無謀さを痛烈に批判し、2人の友情を再確認している。やがて彼らは戦争の虚しさを思い知り、スパイとして戦争を早期に終わらせる方法を模索するようになった。
レミとインディはベルギー軍の情報部で諜報活動について学ぶが、ベルギー軍のスパイはあまりにもレベルが低すぎた。そこでインディは転属令状を偽造し、2人でフランス軍の情報部へ入ろうと試みる。このとき偽造は簡単に見破られてしまうが、上官は彼らの兵役記録と偽造テクニックを高く評価し、2人を受け入れたのだった。そしてレミは料理が得意であると答えたことから、祖国ベルギーの喫茶店で連絡員となるよう命じられ、地下組織の活動を支援することになる。一方、インディは航空部隊の写真係に任命され、2人は互いに再会を誓い合うと、一時の別れを告げるのだった。
そして1918年の大戦末期、レミとインディはフランス情報局から内通の嫌疑を掛けられたラジェンドラ・シン大佐を逮捕するため、再び前線に戻ってきた。だが、大佐はドイツ兵の裏切りによって殺害され、その亡骸には1枚の古い地図が残されていた。このとき停戦のホイッスルが鳴り響く。2人は戦争の終わりを喜び合い、ロンドンへと凱旋した。レミは真っ先に妻のスゼッタと会い、その後インディを家に招待する。レミは戦場で見つけた地図を専門家に翻訳させ、これがアレキサンダー大王の所有していたピーコック・アイと呼ばれる巨大なダイアモンドの在り処を示すものだと確信していたのである。2人は大金持ちになっても友情を忘れないと約束し、宝探しの冒険へと出発することになる。
彼らは秘宝を求めてエジプト、ジャワ、そして南太平洋へと渡り、その間、シン大佐を殺害したドイツ兵や海賊団、島の原住民などに襲われながらも何とか生き延びていた。そしてレミの手には、アレキサンダー大王の秘宝が込められているはずの箱が握られていたのだ。2人は南太平洋の島で原住民の生活を研究しているマリノフスキー博士と出会い、箱を開けてもらう。だが、中に入っていたものはただの石ころだった。完全に秘宝に心を奪われていたレミは半狂乱になり、その後意気消沈してしまう。しかし、その石にはダイヤモンドへの手掛かりとなる新たな情報が記されていた。一方、インディはマリノフスキーに夢について尋ねられ、秘宝を追う時間は考古学者になるという本当の夢を追う際の妨げになると考えるようになる。彼はレミに宝探しを降りると告げ、レミの留意を振り切ってアメリカへと帰っていった。だが、レミは1人になっても秘宝を探し続けると主張し、インディとは別の道を歩むことになる。その後、2人が再会したかどうかは定かでない。
そして1935年、最終的にピーコック・アイを手にしたのはインディだった。上海のクラブ・オビ・ワンでインディは中国の犯罪王、ラオ・チェにヌルハチの遺灰を渡し、それと引き換えに巨大なダイヤモンドを受け取った。これこそがかつて彼とレミの追い求めていたピーコック・アイだったのだ。しかし、ダイヤを手にした直後、インディはラオが彼のグラスに毒を盛っていたことを知る。インディは解毒剤を手に入れようと必死に走り回り、ピーコック・アイはクラブの雑踏の中でどこかへ消えてしまったのだった。